2012/04/30

浅野川桜夕景 藍鼠 水柿

 気象台発表による開花宣言から約一週間後の夜のはじめ。
満開のまま、まだまだ散る気配がない桜。
対岸の料亭の明りが川面を鈍い銀色に照らして、夜は夜ならではの趣。
(藍鼠の水面に水柿色に浮かぶ花・・・日本の伝統色はこういう微妙な色を的確に表現出来る)
私が四半世紀以上暮らした東京の花見は
「この一瞬を楽しまないと」と言わんばかりのドンチャン騒ぎが一般的だろうけど(^^ゞ 金澤では「本来の花見」を楽しんでいる姿を多く見かける。
昔からよく「金澤には大きなお祭りがない」と言われるけれど(例えば百万石祭りはパレード的な要素がメイン)お祭りの重要な効能「日常(ケ)から非日常(ハレ)への移行」は実は日々の暮らしの中、こういう光景の中で佇んでいる人の心の内面で起こっている・・・んだと思う。
別段、賑やかな「桜祭り」などをしなくても
「こんなシチュエーションでこんな光景を見上げていれば」充分に非日常(ハレ)の体験。
金澤は日常に非日常が、日々の暮らしの中に夢幻が入り混じる街。
2012/04/16 18:59
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2012/04/24

浅野川桜夕景 瑠璃紺 薄花桜

旧市街を流れる2つの川沿いは、何処の街でもそうであるように桜の見所にもなる。
ただ他の街とちょっと違うのは「ただそれだけをズラッと植えない」こと。
この桜のすぐ近く、ひがし茶屋街では藩政期、桜と柳が交互に配置されていたそうだ。
「色合いも良く、それはそれは優雅な景色だったと思いますよ」とこの街の歴史に詳しい方が仰っていた。
豊富な財力で「お城から桜霞を遠景を楽しむため」にあちらこちらに桜を植えたりしたけど「桜だらけ」の場所は特に無い。
浅野川沿いのこの場所もそもそも並木としては短い。対岸は半分松並木。そして橋の袂には柳、枝垂れ桜・・・・
こういう街の桜は物量よりも配置と枝ぶりの妙。
役者揃いの浅野川大橋〜梅ノ橋間の桜の中でも‘アタマ一つ’抜き出ている(と勝手に私が思っている)
この桜の写真を友人が「日本画の様ですね」と言うので
「それなら・・」とタイトルにもこの景色に近い日本の色の名前を探してあててみた。
沢山の微妙な色‘その名づけの妙’に感心すると同時に
「それだけ淡く微妙な配色の風景の中に暮らし、僅かな色の変化を慈しんでいたんだろうなぁ」と、羨ましくもなった。
薄闇に沈む桜を眺めながらそんな時代にちょっと想いを馳せるのも金澤らしい花見。
2012年04月12日18時42分撮影

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2012/04/23

花待月 立待月

日増しに蕾も膨らんで、間もなく開花を迎えそうな4月初めの夜。(金澤では例年桜の開花は4月の上旬あたり)
芽吹いてしまえばあっという間に空は覆われてこんな風には眺めるコトの出来ない「枝越しの月」
この日は雨が降ったり止んだり。速く流れる雲から月が出たり入ったり。
浅野川沿いに並んだお花見のボンボリに濡れた枝が艷めき、月の光が透明な大気、真っ白い雲に淡く散乱し・・・鈍く沈んだ金と銀の対比を見せていて思わず足を止めた。
まだまだ力強く輝く17夜月(立待月)が、蕾のアタマをやんわりと引っ張っている様な・・・(今年は満月を過ぎての開花だったので本格的な桜と月の共演はなかったけど)
立待月は「月がもうじき出そうだなぁ・・」と立って待っている間にもう出てくる月、という意だけど(その後で座って待つ居待月、寝て待つ寝待月・・・昔の月待ちは優雅だ)
この月は「蕾はどれくらい膨らんだかな・・開花はいつかな」と桜の枝を見上げた時、一緒に思わず目にしてしみじみ眺める月。花待月。
2012/04/07 23:55

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